父ちゃんは辛いよ

働く父子家庭のとうちゃんへのメッセージです。

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三歳から四歳へ













三歳から四歳へ

やっと、幼稚園の年少組みに入園。

おんぶしての通勤はなくなりました(笑)

この辺りから余計な言葉も覚えて返ってくるわ、かわいさと、ちょっと小生意気になってきました。

でも、まだまだ可愛いさかりです。

オネショは時々、流石にウンチ漏らすのはなくなりました。

私は、釣りが好きだったのでよく休みの日は海釣り公園に二人で出かけました。

なにが、釣れたって>>>>>

何も釣れません(笑)

お昼には、夜に作っておいたお弁当を食べながら一日ぼーと>>>>>

幼稚園でのたわいのない話や、友達はできたか ?

そんな感じです。

その日は奮発して購入した新しい釣竿をもって>>>>>>>>

その瞬間は突然やってきました。

蛸が釣れてきました。

初めて見た生きた蛸を見て「ぎゃー」

私は、新しい釣竿をおいて蛸を釣り針から放すために>>>>>

興奮した彼は、そこいらを走り回り、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

釣竿を二度、三度と踏みました。

真新しい釣竿は無残な姿に !

そ、そ、そんなあぁぁぁぁぁぁ

その日は、蛸が釣れたのに私は、くっくっくく(涙)の帰宅となりました。

怒るにも、怒れないしぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ



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かわいいのは、二歳から四歳ぐらいまで

むかし、アンドロイドロボットのわんちゃんはやりましたよね !

二歳の頃って、まさに>>>>あれです。(笑)

歩いて、お喋りして、泣いて、思考力があって当に大人のおもちゃです。

なにをしてもかわいいし、なにをしても許せるし、>>>>>

ある日の朝、なんか布団が湿っぽいと感じて目を覚ますと>>>>>あぁぁぁぁぁぁ !!

やってくれた、当の本人はパジャマの下のズボンはビショビショ !!!!

「なにかおったの ? 」まだ眠いよぉぉぉぉぉぉぉぉ



いうかぁぁぁぁぁ

おめえーよう  おねしょしたんだよ !

ほら、早くパジャマ抜いて゛>>>>>>

おぅぅぅぅぅ !! 早くしねーと会社遅刻だぁぁぁぁぁ

って日もありました(笑)

あるときは、夕食の後 ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅなんかくせぇーーーぞ !!

うんちの匂いだ ????

おい !! ちっと来て?

やっぱやってる !

食べたら押し出し式かょ!

いまから思い出すと、笑ったり、泣いたり、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっと言う日があったり

今じゃ、思春期真っ只中、スマホ依存、一人で大きくなったような顔して屁理屈捏ねるわ>>>>

訳わからん理屈を捏ね回すわ>>>>

この野郎一人でここまで大きくなったのかょぉぉぉぉぉぉぉぉ

それでも、小遣いも、スマホ料金も、通学定期も自力でアルバイトしてくれてます。

私に、小遣いくれとは言いません。

でも、試験の1週間前からバイト休みにして試験勉強に入るので、バイト料が極端に少なく成った時

には、昼飯代少し貸してって言ってきます。

その時ばかりは私も、おう ! いくら欲しいんだ ?

少し,偉そうに言います(笑)


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とうちゃんは辛いよ!

今日は父子家庭について少し、話したいと思います。

母子家庭は知っていたけど、父子家庭は知らないという人もいるかと思います。

父子家庭って>>>母子家庭と同じです。

でも、認められたのはここ最近では自治体が認めるようになってきました。

私が、父と息子の二人だけの生活が始まった頃にはまだ認められている自治体は

少なかったと思います。

最初は親権と養育権を取ったけど、さてさてどうしようかぁー

私は両親がすでに他界していたので、じいちゃん、ばぁちゃんを頼ることもできませんでした。

そうなんです。

おんぶして仕事に連れていきました。

二歳で一人で家に待たせることができずに仕事場におぶっていきました。

通勤の途中は私の視界の中に映った人たちは好機の目で私たち親子をみていました。

会社の社長からは怒られるし、しかし、事情を知った社長は会社に連れてくることを許して

くれました。

それどころか、私が社外に出かける時は事務関連の女子に、たまには自分がこの子をみてくれ

ました。

本当に感謝 ! 感謝 ! です。

足を向けて寝れないほどの感謝です。

そんな日々が約 1年半ほど続きました。

やっと、幼稚園の年少組に入園できて>>>


会社の社長は一昨年に他界されましたが、私はまだその会社に勤めています。

来年に定年となりますが、おそらく、役員として数年働くことができるでしょう。

亡くなられた、社長には返しても返しきれない大恩があります。

体の続く限り、役に立てる間は恩返しの半分でも返せたらと思ってのす。

この、14年間に私は会社の役員にまで引き立てて貰いました。





父子家庭の話でしたね>>>



父子家庭が自治体に確実に認知されたのは、男女雇用均等法が成立してからやっと自治体で認知

されてきました。

それまでは、親父は認知だけして黙って養育費を支払いしろよ!

そういう風潮が世の中全体にありました。

男手で子供を育てるって大変でしたけど、楽しいこともあります。

どんな子になるのか ? どのように育てていけばててのか ? 試行錯誤の毎日ですが、苦労とは

一度も思いませんでした。

返って毎日が楽しくて、毎日、帰宅の途中に幼稚園に迎えに行くことも、毎日一緒にお風呂ら入る

のも、ご飯を食べるのも、こぼした飯粒飯拾って食べるのも楽しい日々でした。

やだなぁー   と思ったことが、1つだけありました。

それは小学校の授業参観やらPTAなど会合のときには嫌でしたね。

何故なら、同級生の親は私より一回りは歳下のおとうさん、おかあさんです。

その中に、一人だけ初老の私がいるのです。

そして、授業参観来られるのは10人中9人が母親です。

その中に、初老のオヤジが混ざっているのですから目立つといえば目立つし、過去に経験した

好機の目で見られてる視線を感じました。

いやだなぁー というより、なんと言ったらいいのか ????

言葉には表現できません。

何とか、小学校も高学年となり次に中学への進学です。

中学校は義務教育ですが、どこの中学に行くかによって次の高校進学がおおよそ見え出してきます。

いまでこそ、どこの中学に進学するのかはある程は選択できますが、やはり、区によっては校区が

決まっています。

次の高校進学を決める手立てとしては、人気のある中学にするためにその区に引越しするか、中高一

貫の私立に進学するです。

これは、悩みましたね>>>>>ネットで調べては[はぁー]とため息ばかり、寝ても覚めてもそれば

かりです。

仕事も手に付きません(笑)


で>>>>>>>




結局どうしたかって ?

どうしたと思いますか ?

結論は1つです。

ていうーか、 人気のある中学のある区への引越しと、中高一貫の私立への進学です。

子供は平然としらっとしてました何とかなるさぁー、親はたまったものではありません。

お金と時間どちらも必要になります。

高校の進学はある程度楽でしたが、中学校を選ぶのは寝ても覚めてもそればかりでなかりきつかった

ですね。

そして、最近になって気づいたことがあります。

父親は決して母親にはなれないということです。

このことに気づいた時は辛かったです。

ここまでやっても、どこまで行っても父親であり、母親にはなれません。

そうなんだ !
 
こいつも、二歳から母親の顔もしっかりとは記憶にないんだ。

二歳から、母親には一度も会ってないんだ。

母親に会いたいとも一言も言葉にだして言ったことはありません。

一度も>>>>>








言葉だけで物事を伝えようとしています。
中には、不快と感じられる方もいるでしょう。
だからぁーーーーーーなんなの ?
何が言いたいの ?
て   いぅかぁー
私は私たちと同じ環境にいる子供達やとうちゃんへの
応援のつもりで綴っています。
不快と感じられる方は削除していただいてください。

とうちゃんは辛いよ  より


















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とうちゃんは辛いよ

とうちゃんは辛いよ。

私は、俗に言う父子家庭です。

形は、父と息子、父と娘の二人だけの生活です。

形は違えど、とうちゃんと息子の二人の生活やとうちゃんと娘ですよね。

私たちは父と息子です。

その日々の面白く、楽しい、辛い、の笑いの日々を書いてみました。

私たちの始まりはこの子が二歳から始まりました。

私は40歳からのスタートです。

お母さんは?>>>もちろん生存しています(笑)

通常、二歳という幼年期に父親が親権を取り、養育権をとるのはかなりむずかしいです。

何故なら、この幼年期においては母親の存在は大きく子供の成長に欠かせない存在だからです。

普通。。。父親は養育費を支払い親権や養育権を母親に取られてしまいます。

家庭裁判所の判例では圧倒的にこのケースです。

中には、母親が他界して父と子になってしまった父子の方も沢山おられます。

私たちの場合は、母親との通常の離婚という形です。

私は子育てを自分で行いたい強い希望がありました。

長い戦いでしが、私は親権と養育権を家裁で取得しました。

その日から、父と息子との辛い日々と、楽しい日々が始まった次第です。

楽しいことも沢山ありました。

辛い日々も沢山ありました。

仕事から帰ってからは、彼は思いっきり甘えてきました。

そうりゃ二歳ですから甘える人は私しかいないですからね。

私も彼の要望に答えて思いっきりあそびましたよ。

そして、彼は幼稚園から小学生となり、中学へとそして今や高校二年16歳となりました。

そうです。。。。あの日から14年の歳月が過ぎていきました。

今では、一人で大きくなった様な顔して不運な事に、思秋期真っ只中です。

そんな、父と息子の可笑しくて、楽しくて、辛い日々を綴ってみました。

形は違えど私と同じ環境のおとうさん達>>>>がんばれ>>>

あっと、いうま14年でしたが長く辛い14年でもありました。

そして、楽しくて、愉快で、嬉しくての14年でした。

そんな日々の日記というより、とうちゃん ! ! がんばろう>>>あとひと息です。

そんな、とうちゃん への応援です。

次は、彼の二歳から三歳、四歳と成長していく過程を記してみます。









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